借金を減らすこと。
とにかくお金を稼がなければ何も始まらない。
最初の返済を終え残金に愕然としている暇はありませんでした。
リボ払い、家賃の支払い、税金、健康保険、その他の生活インフラの支払いは待った無しでやってきました。
この国では息を吸い込んで吐くだけでもお金がかかる。
そんな風にさえ思えてきました。
バブル期の水準を超え、完全失業率も低く、雇用情勢は「売り手市場」。
企業の人手不足感が連日のように経済誌に取り上げられたりしている現在。
そんな現在の若い人からは想像し難いとは思うのですが、ITバブルが弾け、IT不況、デフレ不況なんて言われてた時代。
そういうフレーズを意識し過ぎていた僕にはその当時に残された選択肢は少ないように思えていました。
とはいえ、前回からの教訓で
働く場所は何処でもいい。
という訳にはいかないという事だけはようやく学習し始めていました。
そのため見当違いな働き口を選択することは避けるようにだけ意識する事にしたのでした。
しかし、友人や知人を含め多くの人に
選ばなければ働き口なんて何処にでもある。
選ばなければ稼げる仕事は幾らでもある。
なんて事を何回も言われました。
確かにそうなんです。
それは正しい事ではあると思うのです。
しかし、人間って不思議で非合理な生き物なんだと思います。
特に自分自身なんか今でもそうだなと思うのです。
自分の人生がまるで世界の中心で回っている。
宇宙の中心に自分の人生がある。
そのように思いたくて、夢やこだわり、常識や対面などから選択肢の幅を狭めてしまうだと思うのです。
そうやって労働手段や場所にこだわり選り分ける。
それがあたかも自分の一部でありアイデンティティーだと思うから、職場にも理想的な状況を求めてしまうのかもしれないのだな。
と今ではそんな風に思います。
しかし、不況の最中、そして就職難。
そんな御託を並べている余裕はありませんでした。
失礼な話ですが、
デザイン寄りの仕事で飯が食えて返済ができるのなら何でもいい。
そう思って、また派遣先を紹介してもらう事になりました。
とある印刷会社が紹介されました。
制作系の面接時には過去のデザイン制作をポートフォリオとして提出して面談をするのが殆どなのです。
そして派遣予定先の会社の面接になりました。
そこでそこの部長かなんかの人が僕の作品を見るなり
君はデザインより編集向きやな!
そう言い放ったのでした。
何かが少し喉元に引っかかりました。
後日、採用が伝えられ勤務がスタートしました。
僕が感じた制作現場での派遣労働者というものは大変居心地が悪いものでした。
正社員の人たちの囲まれて、管理される。
高い生産性の追求の為に派遣され、効率よく成果を出す為にロボットのように働く。
例え物理的に不可能なボリュームの案件であっても決められた枠内でのフィニッシュを求められる。
なぜなら正社員とは異なり、残業時間に関しては厳しく管理され、残業代の申告を派遣会社へしなければならないから。それでも、
この時間で申告してください。
などと言われることは沢山ありました。
派遣社員たちを管理する正社員の評価も僕らの生産性に左右されるため
それらを汲んで、僕も別に嫌な顔一つしないで従いました。
そんな中でも居心地の悪さを感じるのは派遣社員たちと正社員たちの間に生じる溝でした。
派遣会社との契約内容は一部の人にしか公開されていないブラックボックスであった為
派遣社員に対する報酬や待遇に関して様々な思い込みや疑念があり
彼らからは、常にささやかな敵意を感じてしまうのでした。
いわゆる分断という感じでしょうか。
そうしたことによって、居場所はないように思えたのです。
それでもどんな状況であれ立場であれ、継続しなければ。
そう思いながら仕事を続けることにしたのでした。
数ヶ月すると業務もある程度任され、幾つかの大きな案件も担当するようになりました。
編集的な作業も悪くない。そんな風にも思えてきました。
リズムが生まれてきたのでした。
リズムが生まれてくると気持ちに余裕ができる。
以前あったパターンでした。
休日には外へ出かける余裕も生まれ、友人とアニメーションの制作なんかもスタートしました。
木屋町にある楽しい人が集う店にも再び顔を出せるようになりました。
数ヶ月、あっという間に経過しました。
どのくらいこの仕事を続けたら何か未来が開けるだろうか?
そしていつになったら解放され、身軽になれるんだろうか?
それらの答えを探しながら下鴨神社の糺ノ森で開催されている古本まつりをぼんやり歩いていました。
その時、見覚えのない電話番号から着信がありました。
もしもし、木村さんの携帯で間違いないですか?
いつも◯◯◯◯◯◯をご利用いただきましてありがとうございます。
いま少しお時間頂戴しても大丈夫でしょうか?
はい。
古本を手に取りながら返事をしました。
現在のご融資額に対して金利の引き下げが可能になるキャンペーンのご提案なんですが
詳しいお話をさせていただきたいのですが。
はぁ…。
◯月◯◯日に借入金がきっちり100万円となるように御融資させていただきますので
翌月の◯◯日までにご指定口座へ振り込んだ分をご返済くださるだけで金利の引き下げが可能となるサービスなんです。
100万円?
100万円?
思わず二度聞きしてしまいました。
オペレーターの女性は構わずスラスラと説明を続けました。
少しは楽になれるのだろうか?
そんなことを考えている間にオペレーターの女性は
◯月◯◯日までにお返事ください。
そう言って電話を切ったのでした。
100万円…。
糺ノ森にざわざわとした風が吹き流れました。
どうしよう?