サイクルについて

dropout
 

前回の続き

世の中には色々なサイクルがあるといいます。

人が一生の間に、目をさまし、育ち、花を咲かせ、時に喜び、時に悲しみ、疲れ、休み、眠り、また再び目をさますといったような繰り返しを何回繰り返すかは僕は知りませんし、サイクルなんて知ったことではありません。
そんな風に思っていた20代後半戦でした。

ですが、紛れもなく1日があり、1週間があり、1か月を経て、1年があります。
昨日とは違う1日がまた今日訪れ、先週とは違う1週間、先月とは違う1か月を積み重ねて『去年とは違う1年』がめぐってくるという事実は避けようもありません。

そうやって繰り返す毎日が、まるで日常という言葉の中に埋もれて真新しさを失い、新しい1日が埃を被ったような錯覚をしてしまい、光が弱まって見えるようでした。

厄年だったり、八方塞がりだったり。

1年だけを振り返っても、正月や節分に始まり、各種節句や彼岸だとか、季節の節目節目にたくさんのイベントを昔の人たちはトラップのように残してくれていて、そういう類の大きな周期をめぐる古典的なそれらは『暗示』のようであり、『示唆的』でもあり、僕は好きになれませんでした。

まるで親や教師が子供達に教訓を諭すようであり、自由を奪う足かせのようであり、ジンクスのようであり、ちょっとしたトラウマのようで、要するに僕はまったく子どもで目を逸らしていたかっただけなのでした。そして、その頃の僕といえば、

cycle

永遠に春だったらいいのに。

そんな風に思っていて、僕の脳内に咲き乱れる花々に囲まれた『エデンの園』に永遠に滞在していたいと思っていたフシがありました。
そのため、そういったサイクルにまつわるエトセトラを全て

僕はスピチュアルなどに全く関心がないし、科学的ではない。

というような感じで一蹴していました。

しかし、この脈々と続く歴史が紡ぎだしたシステムの中で、例えて言うなれば『全く別の宇宙の別の観念の中で暮らしていく』以外は、1年という流れを無視できないように、僕はこの大きなうねりを無視していても、あちら側はお構いなくそのうねりを生み出し続けていて、その中で藁をも掴む思いで僕は踠いていたとは全く気づく由もありませんでした。

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歴史などで教えられたように、大きな国が栄えていても滅亡したり、分裂したり、崩壊したり。
それは人でも国でも経済でも起こったりして、熱狂的なバブルが起こればいずれ崩壊する
そんな風に思っている時にふと気がつきました。

いや待てよ。

しかし、僕には、僕んちにはバブルが訪れた気配がない。
バブルは我が家のドアをノックすらしないで、そよ風のように我が家の前を横切り去っていったのを磨りガラスの向こう側の景色の出来事のように子供の頃に眺めていたのを思い出したのでした。

バブルのイメージをいつまでも引きずって、それに憧れ、その価値観から逃れられないでいる。時代は新しいフェーズに入っているにも関わらず、やはりそのバブル的消費行動に憧れを抱いている自分がいることに気がついたのでした。

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party

派手なこと、気前が良いこと、刹那的熱狂など。

それらは身の丈にそぐわなくても、僕の価値観の中で大きな割合で影響を及ぼしていました。
気づいた時にはもう手遅れでした。

気分は永遠に春のままでいたいと願っているのにも関わらず、生活状況、経済状況は厳冬の極寒状態。サイクルというものが存在するのであれば、いつこの生活状況は雪解けを迎え、春になってくれるというのだろう?

変化が必要でした。

そして、僕はこの永久凍土に暮らしているかの様な状況に何らかの変化を起こすべくアイデアとも呼ぶにはお粗末なアクションを起こして、あとは運命に委ねることにしました。

永遠に栄えるものもなければ、永遠に苦しむということもない。国敗れて山河あり。因果応報。盛者必衰。諸行無常。借金返済印税収入 フェンダーギブソン…。

様々なフレーズが呪文のように無意味に頭の中を駆け巡っていきました。

 

前回の続き

 

初めてATMの前に立っていた時よりずっと慣れた感じで僕は立っていました。
殆どヤケクソ、そしてどこかに一抹の希望を委ねて。

今より良くなるなんてそう簡単にはおこらない。
そして悪くなるのは簡単だ。
それならどうせ、転がり落ち続けている人生だ、底まで落ちてしまえ。
何もかも失って底まで落ちてしまえばいい。
こんな人生燃え尽きてしまえば良い。

そんな風に思いながらも、『あとは這い上がるだけだなぁ』と不思議と根拠なく楽観的な自分が傍観者の様に見ている気がしました。
そして計画を実行するため、「ご利用は計画的に」というコピーも無視しして、ご融資額に入れられるだけの金額を入力する事にしました。

限度額ギリギリ。

なるべくきっちり100万円借りるべく。
こうすることで、これでもう借りられるスペースはない。

つまりはこれ以上は借りられない。

これからは返済するのみである。

でも、そう簡単に返済するためのチカラも能力も知識も経験もまったく僕には備わっていなかったのですが、自分を戒めるべく自らの手で足枷をする事により『これ以上、悪くなることはない』とその時は思ったのでした。

carry that weight

 

そして、借りたお金を握りしめて帰宅すると、ポストに封筒が入っていました。

賃貸借契約の更新についての書類が入っていました。

あれからもう2年も経とうとしていました。

さて、どうしよう…。

続く

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木村
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めぐれるの副編集長してる人。 静岡県浜松市出身、うなぎパイのとこです。 京都に来てはや20年以上。お酒とロックと夏が好き。 自由気侭なフリーランスで2児の父。