【第1回】バンヒロシ、ユーミンと喫茶店デートする / Bambino「お座敷ロック」発売記念バンヒロシさんド短期連載

 

京都のお座敷ロックンローラーバンヒロシさん率いる、Bambinoのニューアルバム「お座敷ロック」が4月11日に全国流通開始です。

それを記念して、バンヒロシさんにアルバムについてのインタビューを伺ったのですが、その後の雑談に登場した話があまりにも面白かったので、ロック都市伝説好きとしては「めっちゃ面白い!広めたい!」というのもあり、バンちゃんファンとしては「この話聞いたら、バンちゃんのこと知らない人もバンちゃんの音楽聞きたくなるんとちゃうかしら?」というのもありで、アルバムのインタビューを掲載する前に伺ったいろいろなアーティストとのふれあいエピソードを紹介していこうかと思います。

 

 

バンヒロシが荒井由実(松任谷由実)と喫茶店デートした話

 

バンヒロシ:僕が中学生の頃はフォークが流行っていて、僕も「戦争を知らない子供たち」とか「風」とか聴いてたんです。

 

めぐれる:中学生でフォーク聴いている時点ですでにマニアックですよね。

 

 

バンヒロシ:厳密に言うと小学生の頃は、他の同級生と同じように、テレビから流れる歌謡曲やグループサウンズをよく聴いてました。

中学の頃になるとテスト前に深夜放送のラジオを聴くようになって、洋楽やフォークソングに興味が出て自分もギターを弾きたいと思うようになりました。

 

めぐれる:ラジオのエアチェックで新しい音楽に出会っていったんですね。

 

バンヒロシ:はじめはみんなで一緒に歌う感じのフォークだったんだけど、吉田拓郎が出てきてプライベートな歌を歌ってもいいんだと影響を受けて曲作りを始めました。

 

めぐれる:中学生で既にオリジナル曲を作り始めているんですね。

しばらくはずっとフォークを聴いてたんですか?

 

バンヒロシ:中学三年のときに、友達の大森さんのお家に遊びに行ったんです。

大きなお家でお菓子を出してくれたりして。

その時に大森さんがユーミンの「ひこうき雲」を弾いてくれた。

それを聴いて、なんておしゃれな音楽なんだろうと思って。

大森さんに借りて、荒井由実のファーストアルバムを聴いて、どんどんファンになって行って、自分でもレコードを買って。

 

めぐれる:カレッジフォークから、ニューミュージックに出会った瞬間だ。

 

 

バンヒロシ:ユーミンの音楽をはじめて聴いたときも衝撃的でした。

風呂屋の前で石けんがカタカタなった…とか貧乏臭い四畳半フォークの時代にソーダ水の中を貨物船が通る…ってなんて文学的なんやろと感動しました。

 

めぐれる:一気に景気が良くなってますよね。

 

バンヒロシ Bambino 安田謙一

2018/3/18 拾得でのレコ発ライブ 左がバンヒロシさん、右が安田謙一さん

 

バンヒロシ:ある日KBSラジオ(京都のAMラジオ)を聞いていたら「来週のゲストは荒井由実さんです」って行ってたので、翌週にKBSまで行ったんです。

 

めぐれる:出待ちですね。

 

バンヒロシ:で、ラジオ局の受付で「二条中学放送部です」って言ったら、中に入れてもらえたのでスタジオ前で待ってた。

 

めぐれる:あらまあ、入れてもらえたんですね。ゆるいな〜。古き良き時代だな〜。

 

バンヒロシ:ラジオが終わって出てきたユーミンにサインを書いてもらったんですけど、それが貴重なサインなんです。

当時のユーミンは19歳で、まだファーストアルバムしか出ていない新人だったので、サインが決まってなかった。

なのでサインが英語、ひらがな、カタカナ全部で書いてある。

 

松任谷由美 荒井由美 ユーミン サイン

 

めぐれる:しかも結婚前の荒井姓だし、めちゃくちゃ貴重なやつだ。

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バンヒロシ:帰ろうかと思ったら、ユーミンが「僕時間ある?お茶いこっか?」って言ってくれて。

 

めぐれる:え〜!?逆ナンパじゃないですか!笑

 

バンヒロシ:その時ユーミンはラジオ局には1人で来ていて、次の仕事まで時間があったみたいで、1時間くらい2人で喫茶店でお茶しました。

思えばひこうき雲も僕の好きなプロコルハルムの青春の影みたいなバロック様式で洗練されているし、新曲の12月の雨も時はいつの日にも大切な友達、過ぎてゆく昨日を物語に変える…って歌詞が素晴らしいとかなんとか会話してたと思います。

それまで僕は女の人と2人で喫茶店に行ったことなんてなかったので、僕の初デートはユーミンなんです。

 

めぐれる:初デートがユーミンって、妄想でも恐れ多いような話ですよそれは。

 

バンヒロシ:10年前くらいにブログにこのことを書いたら、後日ツイッターで話題になったみたいで、誰かがラジオに投稿したみたいでユーミンが僕のブログを読みあげて、なんとなく覚えてるって言ってくれていたらしいです。

今でもいつか音楽の現場でユーミンと会いたいと思いながらやってますよ。

(写真:渡辺宏紀)


バンヒロシTwitter


Bambinoニューアルバム「お座敷ロック」

お座敷ロック バンヒロシ bambino バンビーノ
BAMBIPHONE RECORDS BFRB-14 定価2200円(税抜)

バンヒロシ還暦祝いアルバム・Bambino「お座敷ロック」が4月11日に全国発売と相成りました。

ヒロシ還暦!

スウィートお座敷ロックンローラー、バンヒロシ率いるBambinoの新作アルバムが完成した。

敷居は低く、志は高く!その意思を込めたタイトル曲「お座敷ロック」、バンヒロシが19歳の時に結成したバンド・アップルドールズのデビュー曲「あの娘に投げKISS」と 2003年にセクシー歌謡ユニット・ラブハンター熱い肌に提供した「赤いブルースの女」のセルフカヴァー、バンビフォンレコードの秘蔵っ子・Sayoko-daisyとのコラボ曲「シング・ ア ・ソング」、Bambinoの新境地とも言える「生命のうた」「ジェレミー」と、捨て曲ナシ・名曲揃いのアルバムである。

昭和歌謡のアナログ感と平成ダンスビートのデジタル感をミックスした多幸感溢れるサウンドはますます進化し、次の時代をも予感させる極上のポップス幕の内弁当だ!

 

Bambino バイオグラフィー

2000年
<bambino>結成。
ゲリラ的ライブを行う。
2001年
4曲入アナログ盤『il bambino ed Rock』をlove time recordsよりリリース。各方面より絶大な評価をうける。
2002年2月
『バンちゃんとロック』レディメイド524レコードより復刻。
2002年4月
『SMASH HITSのスチャラカ・デイズ』CD
2002年5月
『il bambino ed Rock』CD『スマッシュ天国』CD『Smash Hitsのスチャラカ・デイズ』CDをlove time recordsよりリリース。
2003年
勢力的に全国ツアーを展開。
2004年1月
『恋がバンバン』7inchリリース。
2004年6月
『happy set』bambinoファーストアルバムCDリリース。
2008年11月
『ロックンロール・スキヤキ・スウィンドル』bambinoセカンドアルバムCDリリース。
2012年3月
『BAMBINO EP』 をリリース。

 

バンヒロシ バイオグラフィー

1976年
京都のインディーズレーベルより<appledolls>として『あの娘になげkiss』でレコードデビュー
1978年
京都にてbar 『万歳倶楽部』創業。
坂本龍一、アナーキー、陣内孝則、ジョニー大倉、町田町蔵(康)、藤山直美等と交流を深める。店に集まった仲間と歌謡ロカビリーバンド<Smash Hits>を結成。
1979年
月刊宝島にて「京都てなもん屋通信」を執筆。
<Smash Hits>DIAMOND HEADSRECORDINGよりヴィーナスの弟分として『テル・ミー/恋のハリキリ・ボーイ』でデビュー、これより3年間東名阪でライブ決行。小林旭、近田春夫、東京ブラボー、スクーターズ、有頂天、少年ナイフ、キングトーンズ等と共演を果たした。TV「タモリ倶楽部」「おーわらナイト」にも出演、マニアックなファンに圧倒的に支持される。
1984年
名盤『バンちゃんとロック』発売。FM大阪にて「僕のかってでショー」オンエアー。
当時ピチカートファイブだった小西康陽とのDJバトルやゼルダのサヨコとの音楽談義等でますますマニアックなファンを増やす。
1987年
京都でクラブパーティー「ア・ラ・モードコレクション」を展開。ピチカートファイブ、東京スカパラダイスオーケストラ、東京パノラママンボボーイズ、山口冨士夫 、アナーキー、ファントムギフト、近田春夫とビブラストーン、ランキンタクシー、大貫憲章等を呼んでのパーティーをオーガナイズ。京都の80年代のサブカルチャーの黒幕として名を馳せる。
1999年
アコースティックでのライブ活動開始。
2000年
またDJとしてミクスチャーパーティー「クラブエデン」をオーガナイズする。

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