ツケは支払わないといけない時が、いつか絶対くる
2006年の夏が始まろうとしていました。
ロナウジーニョやジダン、クローゼ。
ドイツW杯の年でした。
共同生活の場所『イルカホテル』でサッカーの試合をテレビ観戦しようとバンドメンバーのドラマーと帰宅しました。
その当時、彼の家にはテレビが設置されていなかったのです。
7月9日のことでした。
同居人がトイレの前で倒れていました。
例の便座アタッチメントの設置されたあのトイレの前です。
苦しみ悶える彼に声をかけますが、回答できるような様子ではありません。
しかし、彼は必死に残された力を振り絞って台所の方を指をさしました。
2005年の2月にバンドメンバーとの共同生活を始めて早くも1年以上経過していました。
その1年の間に自炊はおろかカップ麺すらまともに作れないかった同居人(以下モリシ)は、生きていくためにほんの少しだけ自炊ができるようになっていたのでした。
だいたいの場合、野菜を炒めて創味のつゆをぶっかける的な料理だったことが思い出されます。
台所へ足を運ぶと、何かが調理されたであろう形跡が…。
そして、トイレからモリシのものすごい声が聞こえてきました。
洋式便座アタッチメントに向かい嘔吐をしていたのでした。
ドラマーがコンビニへ走り、モリシにスポーツドリンクを与えました。
薬を飲ませ、水分を補給させ、調理されたブツを片付けました。
ようやく少し落ち着き喋れるようになった彼の口から語れた言葉は、
「まだいけると思ってん。料理してる時から怪しいなとは思ってんけどナス。」
そこで僕は、必殺の『倹約マニア』である彼の脳内を擬似トレースしてみることにしたのです。
今晩のメシどないしよっかな?
あ、鶏肉冷凍してあるわ。
解凍するの面倒やなぁ。
あ、そういや野菜あったはずやわ。
どれどれ?
ちょっとずつ使うてたから在庫あるはずや。
ん?
あ、よっしゃ、あるわあるわ!
あれ?なんかちょっといつもと様子が違うで。
ま、ええか。
ちまちま使うてきたけど、さすがにこの暑さで予想以上に速いペースで傷んでしもうてるんかな?
どないしよ?
まだ大丈夫やろう。
他の料理作ろっかな?
…。
やめとこ。
やったことないのん今からやったら時間かかるし失敗するかもわからへん。
おそらく雰囲気的には、多分大丈夫やろ。
と判断したためとりあえず調理した。
そしてなんか怪しいと思いながら
食べた。
やっぱり怪しい。
あかんかなぁ、せやけど折角作ったし勿体無いわな。
そしてやっぱり
食べた。
そしてやっぱり
ダメだった…。
トレース終了。
やはりダメなものはダメで気がついたらトイレの前で倒れこんでしまった。
という感じだろう、と。
さすがの倹約マニア海峡の冒険野郎も『食中毒』という海峡は無事に横断できなかったようでした。
一軒家の冷蔵庫の前にはいつもモリシが根菜類などを収納している段ボールが置いてありました。
いつ使ってるのかさっぱり見当がつかない『秘伝』と書いてあった謎のタレも一緒に。
モリシが悶え苦しんだ2日後のことでした。
僕は深夜に帰宅し、冷蔵庫の最下段の棚より飲み物を出そうと、その段ボールを少し手前にスライドさせました。
箱をスライドした瞬間に謎の液体が流れ出てきたのでした。
醤油やソース、我々の一軒家では調味料としては見覚えがない色の、まさに謎の液体でした。
『秘伝』のソース?
しかし、どう考えてもソースのようには思えません。
台所の電気を明るくし、箱の中を整理し、発生源を突き止めることにしました。
そしてスーパーの袋や上の野菜類を取り除くと、厚手の透明ビニル袋の中でかつてナスだった物体がドロドロに溶けていたのでした。
袋を持ち上げるときに腐敗臭が溢れ漏れ出しました。
強烈な臭いと、そのドロドロの物体におびただしい数の小さな虫が付いて蠢いているのが確認できました。
その臭いとビジュアルで、たまらず吐き気が込み上げ、叫びました。
僕の叫び声を聞いたモリシが2階から駆け下りてきました。
事の経緯を説明するも途中から彼は2、3歩退いていきました。
明らかにこの後始末をつけない様子です。
おそらく2日前のナスをさらに放置していった結果がこの恐ろしい状況を生んだのでしょう。
なんとなくわかりました。
どうやら処理するのが恐ろしく、放置していたようです。
このたった2日で虫が湧き、ナスの姿は変容してしまいました。
僕は思いました。
借金と一緒だ。
ツケは支払わないといけない時が、いつか絶対くる。
時間が経過すればするほど、状況は悪くなっていく。
僕は借金で本当に失っていたものは時間だと気づくのはもっと先になってからでしたが…。
時間はお金。
お金は時間なんだ。
漠然と、そう思い始めることになったキッカケの一つの出来事でした。
僕はかつてナスだったその物体を袋に入れなおし、さらに厳重に袋4重巻で葬ることにしました。
何故かとても疲れました。
きっとこの処置の間に色々考えてしまったせいです。
折角、倹約をしても腐らせてしまったらお終い。
かといって、一度に消費してしまったら家計に少しずつダメージが蓄積されてしまう。
食べごろという旬を逃すと腐らせてしまう。
いろいろ示唆を含んでいるように思えました。
そこで、モリシがこの野菜をどうやって手にしてきたか身勝手な妄想を膨らませ推測してみました。
うん、きっとこうだろう。という具合に。
労働時間を売って手に入れた給料(お金)の一部から予算を決めて買い出しに出たはずだ!
そして、ちょっとでも安い価格で提供しているお店へ時間をかけて買いに出ているに違いない。
買いに行くために時間と労力、もしかしたらガソリン代だってかかっている。
もしかしたらモリシは買い物デートとかまでしちゃってる可能性さえある。
(昨年の2月に共同生活を始め、瞬く間に1年以上経過していたので様々な変化があり、モリシには彼女ができていたのでした。)
安い食材を手にするためはるばる出て来たのに、デートのために余分なものまで買ってしまい購入総額が上積みされるという本末転倒なことになっているかもしれない。
そうやって大きな手間暇をかけてこの野菜を手に入れたのだろう。そうに違いない。
そして食料を丁寧に使用していく。少しずつ、丁寧に。
しかし、予定外の出来事で外出があったり(その頃の彼は尺八ユニットと劇団の公演準備などやっていたと思います。)
外食があったり、デートがあったり、そうやって手に入れた食材は
思うように使い切れないまま終焉を迎えてしまった(のだと思う。)。
全て僕の憶測でしかない。
しかし、そうやって失ってしまう現象を妄想していく内に、何らかの悲しさを感じ取ったのでした。
悲しさの理由を想像してみました。
きっとこうなんだろう。
野菜が勿体無いという気持ちもあれば、費やした時間と労力が無になってしまうこと。
大げさに言えば、限られた人生の時間の一部を使って得たものが、結局なんにもならなかった。
つまり、この悲しみは今までの『僕の人生』を表しているようにも思えたからなのでした。
「野菜を手に入れたい」という欲求からスタートして、いつの間にか「なるべく安く」手に入れたいに変容し、目的が変わってしまった。
そもそも自由な時間を手に入れるための手段としてお金を得ようとしているのに、気がついたらお金のために自分の時間を削っている。
そうやって自らの時間を気付かずに浪費してしまっている。
スティーブ・ジョブズは毎朝、
「もし今日が人生最後の日だったら、僕は今からすることを“したい”と思うだろうか? その質問に対して、あまりにもNoが毎日続くようなら、それは何かを変えないといけない証拠だろう」
そう自身に問いかけたそうです。
例えると、人生最後の日に品物を安く購入するために奔走しようなどとは思わない、と僕は思うのです。
できるだけ安く品物を手に入れようということが悪いと言っているわけではないのです。
限られた人生の時間の中で、その為に時間を消費してしまうのは本末転倒なように感じられたからでした。
僕はお金を返すために多くの時間を無駄に消費し続けている。
お金のために生きて、お金のことに縛られて、自由を装っているけれど全く自由な時間を手に入れられていない。
明日だって、返済のための労働が待っている。
それでも相変わらず僕は時間が永遠にあるような気持ちのままで1年を過ごしていたのです。
責任もなく、守るものもない。
若い人が集まる場所に片足突っ込んだままの社会人になったせいもあります。
そういう場所から離れたくないという気持ちが、ここに留まり続けている理由でした。
それが、昔言われた学生気分が抜けていないってことなのかもしれません。
永遠にそういう気分と雰囲気の中で生きていたいと望んでいました。
全ては自分の中途半端さだと、わかったのがこの悲しさだったのでした。
この夏までを振り返りました。
節分を経て、3月には父親の還暦祝い旅行へ妹が在学している広島へ。
5月はGW期間中に大凧を揚げる祭のために実家のある浜松へ帰省しました。
移動する電車の車窓から眺める景色を見ていると、全てが夢のようにも思え、現実とは恐ろしいものだと思えました。
父親が還暦を迎えるという現実を目の当たりにし、帰省先では結婚した友人M夫婦とばったり再会。
僕だけが立ち止まったままのように思えたのでした。
こんな風に思えてきました。
皆んな其々の目的地を知っているし、わかっている。
そしてその為に行き先が書かれた電車に乗っている。
一人で特急に乗って目的地へ急いで向かう者もいれば、パートナーと各停で向かう者もいる。仲間と急行で向かう者もいる。
でも僕は、ホームを通過するみんなが乗った電車を独りで漠然と眺めている。
ただ毎日、ひたすら通過待ちをしている。
そんな風に思えました。
時間の経過を改めて認識しました。
しかし、目的地も定まっていない僕はフラフラと責任を取らない生活を自由だと勘違いをしていたのです。
6月のある日、朝の出勤途中に 黒地に金文字でデカデカと 『毎日が生き地獄です』と書かれたプリントTシャツを着たおばあさんを目撃しました。
『毎日が生き地獄です』というメッセージをおばあさんが発信している。
この世の終わりのような気分になりました。
50年後の自分がそんな気分にならないことを願うばかりでした。
お金は時間。
時間はお金。
祇園祭が終わり、いよいよ2006年の夏が訪れました。
幕末女子は彼女になりました。
そして僕はまた、まだ浮かれていたのでした。
あと残りのローン残高:694,771円
リボ払いの残高:約40,000円
続く