騒音寺NABE&CHAINSラリー藤本対談 レコ発記念インタビュー【前編】

 

2018年は京都の音楽ファンにとっては嬉しい年になりました。

7月に騒音寺が7年ぶりのアルバム「百歌騒乱」を、CHAINSが15年ぶりのシングル「25th Anniversary」をリリース。

これを記念して騒音寺のボーカリスト・NABEさんと、CHAINSのベーシスト・ラリー藤本さんにお話を伺いました。

「レコ発記念」と銘打ってますが、たいして(ていうかまったく)音源について訊いてないインタビューですが、内容は他の雑誌や他のWEBマガジンにはないほど濃厚で本音がぶっちゃけられた対談となっておりますので、読んでいただければ皆様ご満足いただけると思います~。

それではどうぞ~~

 

 

騒音寺を作った時は、そこまで本気で活動しようと思ってなかった。

—騒音寺とCHAINSバンド結成はいつですか?

 

ラリー藤本:確か結成は近いですよね。CHAINSは1993年結成で、今年で25周年。

 

NABE:騒音寺は94年。

でも騒音寺を作った時は、そこまで本気で活動しようと思ってなかった。
2ヶ月に1回くらいしかライブしてなかったし。

京都でしかライブやんなかったし。

 

—バンド結成のきっかけを教えてください

 

ラリー藤本:騒音寺は誰が作ったバンドなんですか?

 

NABE:僕が作った。

でも、本当に最初の頃はやるぞーって感じではなくて…

趣味だなあ。

趣味の バンドって感じではじめた。

それが、いつの間にかこうなったっていう。

 

日本語オンリーで曲を書きたくなって騒音寺を作った

ラリー藤本:騒音寺の前、オリジナルのバンドでの活動は?

 

NABE:騒音寺の前は、シュールズっていうバンドをしてて、そのバンドで村八分のオープニングアクトやったりとかもしてた。

その時はボーカルじゃなくて、ギタリストだったんだけど。

で、そこのバンド抜けて。

いろんなレコード聴いたり、音楽聴いたりしてるうちに、俺でもオリジナルで曲をいっぱい作れるんじゃねーかと思って騒音寺を作った。

 

ラリー藤本:じゃあそれまでは今ほど、オリジナルを作ってなかったんですね。

 

NABE:そうそう。

だけど、日本語オンリーで曲を書きたくなって。

俺いけるんじゃないかと思って、 今までリリースされてきた過去の日本の黎明期を支えてきたバンドを越えれるんじゃないかと。

 

ラリー藤本:今まで作ってなかったのに、越えれると。

 

NABE:思った。

騒音寺を作った、目的はそれだけやった。

ツアーやろうとかも思わなかったし、とにかく日本語オンリーで曲をかきたかった。

 

 

CHAINSは誰もオリジナルメンバーがいないのに、存在するバンド

NABE:CHAINSは何がきっかけでできたの?

 

ラリー藤本:僕は入って18年ほどなので結成当時はいてませんが、93年結成当初はロックコミューン(※くるり等が在籍していた立命の音楽サークル)でソウルカバーバンドが始まりだったみたい。

ジェームズ・ブラウンとかミーターズをシンプルなロック編成でっていう。

一番古いのは新村(CHAINSのボーカルギター)だけど、当時は自分のブルースバンドもやっていたし腰掛けだったみたい。

そこからメンバーが1人消え、2人辞めで、結果ぐるっとメンバーが入れ替わっちゃった。

なのでCHAINSは、言うなれば、言い出しっぺがもう誰も居ないのに存在するバンドなんです。

 

NABE:そんなバンドあらへんで。

 

ラリー藤本:ちょっと変わってるバンドですよね。

 

俺が死んでも誰かが騒音寺を受け継ぐのが、目標とするバンドの形態なんかもしれん

NABE:だいぶかわってるよ。

普通はもうここでやめようってなって、残りのメンバーで新しいバンドやろうぜってなるけどなあ。

でもそういうのって、俺が目標とするバンドの形態なんかもしれん。

俺が死んでも誰かがボーカルをやって、騒音寺を受け継ぐ。

メンバーが辞めてもベースのこーへーが騒音寺を名乗って弾き語りやるとか。

 

ラリー藤本:イギリスとかアメリカのバンドで割と名前だけ残ってるバンドとかあったりしますよね。

主要メンバーがいなくなってからも、メンバー交代をくりかえして続けているような。

リトル・フィートとかローウェル・ジョージが亡くなった後も続いてるし。

 

NABE:グレイトフルデッドとかもジェリー・ガルシアが亡くなっても、グレイトフルデッドだったりしてるもんな。

 

ラリー藤本:バンドインフラ的なものが残って、核になる人がいなくなってもバンドが継続しているというか。

 

NABE:海外ではあるけど、日本ではCHAINSがはじめてちゃう?

 

ラリー藤本:いや、そんなことはないでしょう。笑

 

NABE:聞いたことないぞ。

 

ラリー藤本:まあ僕たちは誰も死んでないし。笑

そもそもバンドインフラなんてもの築けてないから

 

CHAINSは自分たちが楽しむためにやってるみたいなところが大きいから、音が内向き

NABE:CHAINSはソウルバンドからはじまってるのに、ウルフルズみたいな音楽性にはならなかったよね。

 

ラリー藤本:そこは多分、CHAINSのメンバーが外に発信しない人たちやったからでしょうね。

ウルフルズの人たちとかはサービス精神があるし、騒音寺もそうだけど、外に対する発信力とか訴求力がすごい。

僕らはなんか、中音(なかおと)を楽しむっていうか。

 

NABE:まずは自分らで楽しんで、それについてきてくれる人たちがいれば良いみたいな。

 

ラリー藤本:逆に言うと誰に向かってやってるのか…っていう感じかもですが。笑

勿論オリジナルやってる以上は褒められたいわけですから、同趣向のバンドマンや音楽好きに響くツボはある程度押さえているつもりですが、そもそもが自分達が楽しむためにやってるみたいなところが大きいから、音自体は内向きですね。

ライブバンドって言われた時期もあるけど、大掛かりなツアーとかやったことないし。

アルバムアーチストかって言われたら経歴の割にはそんなにリリースしてるわけでもな
い。

 

NABE:かわったバンドだなあ。

99年か2000年くらいに、騒音寺とCHAINSは1回共演していてその時観てるんだけど、すごくいでたちの良いバンドだなと思ったの。

音楽をやる人たちっていうルックスで、音楽をちゃんとやってますっていうライブをしていた。

派手さはないけどきっちりしてた。

 

ラリー藤本:真面目なね。

”クラスの比較的勉強できる子達が集まって組んだバンド”…ってよく言われます。笑

 

いつの間にか絆という意味のCHAINSがメンバーが入れ替わる数珠繋ぎ的な意味のCHAINSに

NABE:その頃のCHAINSのドラマーだった…誰だっけ?

 

ラリー藤本:イトチュー(現CHAINSのドラマー)ですか?

 

NABE:いや、えーと…そうそう、宮田くんがよく騒音寺を観に来てくれてた。

 

ラリー藤本:宮田さん!? それはずいぶん前ですね。

そもそもはじめは彼がリーダーだったらしいですけどね。

伝聞ですけど、宮田さんがリーダーで、バンドは「絆」だから「CHAINS」と名付けたと。

ですが、その後メンバーが蒸発したり、挙げ句の果てに自分も辞めて、いつの間にかメンバーが入れ替わり立ち替わりの「数珠繋ぎ」とか「くされ縁」的な意味になって今に至るという。

 

NABE:おもしれ~

 

ラリー藤本:オチはついてるんですよ

 

NABE:CHAINSっていうバンド名で良かったね。

 

 

目立つためにはピンボーカルだと思って、そんで今のギターのタムを騒音寺にスカウトした

ラリー藤本:騒音寺もメンバーチェンジ多いバンドですよね。

今残ってるオリジナルメンバーは?

 

NABE:俺だけ。結成した時はギターボーカルだったの。

俺がギター弾いて唄って、曲も作って。

 

ラリー藤本:いつからライブでギターを手放したんですか?

 

NABE:99年くらい。

 

ラリー藤本:結構最初の頃ですね。

 

NABE:ギターボーカルって一番嫌なパート。

俺、ボーカリストがすごい好きなんだよね。

ギタリストで好きな人がまったくいない。

高中正義くらい。

 

ラリー藤本:でた、まさかのフュージョン好き。

レコーディングの合間も2人でカシオペアの話で盛り上がったし。笑

 

NABE:そうなの。

キース・リチャーズが好きでしょ?とか、ジョー・ペリーが好きでしょ?とか言われるだけど、全然そんなことない。

憧れたことない。

憧れるのはボーカリストばっかり。

ほんで、ギターボーカルって忙しいんよ。

歌終わってソロ、ギター弾き終わったら、また歌かよって。

 

ラリー藤本:手足縛られますもんね。

 

NABE:それがほんっとに嫌になって。

目立つためにはピンボーカルだと思って、そんで今のギターのタムをスカウトして。

お前が弾けと。

 

ラリー藤本:そっからもう自由に羽ばたいて。

 

NABE:そうそう。服もどんどん変わっていき、どんどん変な格好になっていった。

 

「もしもしどうも、NABEです。今からいきますね」

—騒音寺のニューアルバム「百歌騒乱」はラリー藤本さんのスタジオ「マザーシップスタジオ」でレコーディングされたそうですが、元々親しかったのでしょうか?

 

ラリー藤本:僕は勿論知ってましたけど、元々知り合いっていうのではなく、直接お話ししたのは今回のレコーディングが最初ですね。

 

NABE:そうそう。

俺はタムからレコーディングしてすごい良かったって聞いてたし、ここにしようと思って。

 

ラリー藤本:「もしもし騒音寺のNABEです。どうもどうも。今からいきますね」って。

 

NABE:俺、直接会って喋りたいの。

 電話でレコーディングのやりとりあんまりしたくないから、けっこう頻繁に来たでしょう。笑

 

レコーディングでちょっとミスってようが何であろうが、騒音寺らしい演奏ができていれば

—音源を制作をする上でこだわった根っこの部分があるなら教えてください。

 

ラリー藤本:騒音寺ってアルバムを何枚出してましたっけ?

 

NABE:10枚?11枚かな?

オリジナルとしては9枚目かな?

 

ラリー藤本:その9枚を通してこだわりって何かあります?

 

NABE:レコーディングに対するこだわりはない。

その時々の演奏ができてればそれで良い。

ちょっとミスってようが何であろうが、騒音寺らしい演奏ができていれば。

同じことは2回歌わないとか、曲作りと選曲にはこだわる。

 

ラジオでかかったときに、パッとイントロが鳴った瞬間に「あれ?これ騒音寺じゃないかな?」ってわかる音楽が作りたい。

ラリー藤本:録音ボタンを押す段階では録音ボタンの押し方でのこだわりっていうのはないって感じなんですね。

 

NABE:たぶんね、レコーディングで改まって綺麗なギターを弾こうが、 こういうツアー生活を続けてたら、ライブの自分たちの音が染み付いてるから。
レコーディングを意識しなくても、充分自分たちの音っていうのが出てると思う。

 

ラリー藤本:なるほど。

 

NABE:なので録音ボタンを押す段階でのこだわりっていうのは何もない。

アレンジとか何もかも楽器パート各々に任せちゃってるし。

レコーディングだからいつもよりうまく歌おうとも思わない。

しいていうなら、騒音寺はいろんなジャンルを吸収して、騒音寺になっているわけで。

ブルースだったり、ロックンロールだったり、オールディーズだったり民族音楽だったり。

例えばラジオでかかったときに「あれ?これ騒音寺じゃない?」って聴いてる人が思って、俺の歌が入って「やっぱり騒音寺だった」ってわかる音楽が作りたい。

そこはこだわりといえばこだわり。

パッと音楽を聴いて、騒音寺だってわかるような演奏。

 

ラリー藤本:じゃあイントロとかめっちゃ重要ですね。

 

NABE:そう。イントロとか音色、音質とか。

 

CHAINSがメジャーからインディーズに戻ってから、音楽になかなか前向きになれない時期が長かった

ラリー藤本:僕らってバンド歴は騒音寺とかわらないけど、出してるタイトルって4枚だけで。

その4枚も最初の10年に出していて、そこから15年空いて、こないだやっと2曲入りのシングルをリリースして、これがまだ5作目なんですよね。

 

NABE:良いスタジオ(マザーシップスタジオ)あるのに!

 

ラリー藤本:ねぇ。苦笑

 

NABE:それは何で?曲作りが遅いの?集まりにくい環境なん?

 

ラリー藤本:んー、まぁ言い出せば色々とあるんですが、曲作りは確かに遅い方ですね。

以前は栗ちゃん(※栗本英明、元CHAINSのベーシスト)がいて、彼も曲作りをしていて、ボーカルの新村と双璧の、言うなれば”レノン・マッカートニー”的なところがあったんだけど、栗ちゃんが抜けてからは曲書くのは新村だけですしね。

でも多作な方じゃないし、僕が2001年頃に加入して間もなくCHAINSはメジャーデビューするんですけど、そうすると短期間にたくさん書けって言われるんですよね。20曲とか。

その中で良い曲がなかったらさらに10曲かけとか。いわゆるメジャー制作の洗礼をモロに受ける。

それで、枯渇して水一滴出ない状態になっちゃって。

 

NABE:それで枯渇したらあかんやん!

 

ラリー藤本:そうなんですけどね。

それでまたインディーズに戻って、しばらくは生活を安定させなきゃいけないっていう、バンド間でも揺り戻し的な期間があって。

音楽になかなか前向きになれない時期が長かった。

ちょうど”くるり”の「みやこ音楽」のコンピレーションに騒音寺と一緒に入れてもらって、西部講堂に呼んでもらったりした2006年頃?あの頃が一番どよーんとしてる時期。

新曲もしなければ、ライブも毎回同じ曲で、あの頃がバンド的には一番しんどかった時期ですね。

 

NABE:でもよく乗り越えたよね。

 

ラリー藤本:辞めるっていうところまでいかなかったのは、逆に言うと良い意味でみんなにヤル気がなかったからかもしれない。

常に常温で醒めているというか。

そこに誰かアツい奴がいたり、こんなん嫌だと言い出す前向きな奴がいたら、やめたりつぶしたりするんでしょうけど。

 

NABE:辞めるっていう気力もなかったんかもな。

 

ラリー藤本:ほんまそう。

逆にそれで続いたっていうのはありますね。

でも、そうやって人間関係の倦怠感をかかえつつも取り合えず活動を続ける事には意外なメリットも有って。

会話が少なく喧嘩にならないぶん「バンドの音」は人間関係とは関係ないところで変に熟成していく…みたいな。

 

NABE:すげえおもしろい。

 

ラリー藤本:だからこういうことになる訳ですよ。「15年ぶりのシングル」っていう。

 

曲が書きたくて仕方ないけど、騒音寺のツアーがあると曲作りが分断される

NABE:おれは逆に曲が書きたくて仕方ないけど、ツアーがあると曲作りが分断される。

書き出したらまたツアーがはじまる。

おちついて2ヶ月3ヶ月の猶予がないと、曲をまとめて5、6曲作るのは難しいわけ。

でも、フックはいっぱいつくってるんで、それをつなぎ合わせたり構成していくっていうのが、一番楽しくもあるけど時間もかかる作業で、フックばっかり集まって、それをつなぎとめる時間がなくて、それが7年。

その間にも曲は書いてたけど。

 

ラリー藤本:曲を書きたいっていう初期衝動なんですね。

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ツアー行くために新しい曲を書くっていうんではなくて。

 

NABE:うん。それはない。

無理して書いても良いものはできないし。

 

 

お題を欲しいって言ったら、まわりの人たちがどっと笑って「そんなミュージシャンに会ったことがない」って

NABE:俺もエキサイト音楽出版からベスト盤でデビューしていて、その時にこれから担当してくれる人とか偉い人とか、忌野清志郎さんのマネージャーさんとか業界の人たちがいっぱい集まった飲み会があって。

そこで俺が「ひとつこちらから提案があります。どういう曲が欲しいとか、どういう感じの曲、どういうテーマの詞が欲しいとかを僕に言ってください。お題をもらった方がすごくラクだし。」って言ったら、まわりの人たちがどっと笑って「そんなミュージシャンに会ったことがない」って言ってた。

 

ラリー藤本:大喜利的な。笑

 

NABE:何でも書きますって。

さあ曲を14曲15曲作れって言われて、作って出してダメだって言われるるよりも、どんな曲を欲しいのか言ってくださいって。

 

ラリー藤本:ある意味でプロフェッショナルですよね。

 

NABE:例えば猫の歌とか、恋愛でふられた歌とか、東京という街について書いてくれとか言ってもらえたら書きますんでって言ったら、めちゃくちゃ面白がられて、こんなこと言う人初めて会ったって。

 

ラリー藤本:裏方のサウンドクリエーター的な人ならそういう人はいはると思うんですけどね。

いわゆる、バンドマンでシンガーソングライターでフロントマンで言う人は珍しいでしょうね。

またNABEさん、自己主張の塊みたいな見た目だし。

 

スタジオ入ったら新村がギターポローンと弾きながら何か聴きなれない曲を弾き語ってる。あ、これ新曲書いてきたんやなと。

NABE:CHAINSって仲良いの?

 

ラリー藤本:直球ですね。笑

どうなんでしょうかね。

仲は特に悪いわけでもないですけど…とにかくあまり会話がないんで。

リハとかでも「ちーっす」って集まって、「ちーっす」って帰っていく。

 

NABE:そんなんで新曲とかどうやって作るん?

 

ラリー藤本:スタジオ入ったら新村がギターポローンと弾きながら何か聴きなれない曲を弾き語ってる…

どうやら人の曲でもなさそうだな…あ、これは新曲書いてきたんかな?…と。

みんながそれを察知する。

 

NABE:「それ新曲?」とも言わないの?

 

ラリー藤本:あんまり言わない。

なんとなくそれにドラムのイトチューが静かにビートつけ出したり、横山さんがギターなんとなく合わせだしたりして、ひととおり新村が歌い終わるまで合わせて。

んで終わってから「なにそれ?新曲?」とボソってきくみたいな。そういう事が多かったかな。

普通は歌詞カードとかコード譜とか刷って来て渡したりとかあるんでしょうけど、そういうのは今まで一切無かったですね。

流石に最近は新村もスマホ&アプリを入手したんで、簡単なデモくらいはSNSのグループメールみたいなんで事前に回してって事もするようにはなって来ましたが。

いや、ほんと、ちょっとした”コミュ障”バンドですよ。

まぁ良く言えば音で会話してるんでしょうけど。

 

10回くらいはCHAINS辞めようと思ったことありますね。

NABE:楽屋でベースのやつの首絞めたりとかないの?

 

ラリー藤本:そんなことしないです。笑

 

NABE:そうなんや。俺らがそれ。笑

 

ラリー藤本:僕らまずメンバーが楽屋で一緒にいない。

メンバーの首締めるかどうかは別として、普通バンドってそういう感じで感情がハッキリしてるのに、僕らはそういうのがない。

さっきの話に帰結しますけど、だからこそバンドが25年続いたっていう。

誰か一人でもバンド的に「おりゃー!」っていう人が居たら、多分その人が癇癪をおこしてバンドがつぶれてると思うんです。

まぁ強いて言えばそれは僕なんですが…僕はバンドの中で一番まともっていう自覚があるんですけど、ぶっちゃけCHAINS辞めようと思ったことは何度もありますね。

 

NABE:それはなんで?コミュニケーションがとれないから?

 

ラリー藤本:それもあるし、何を何度言うても響かへんとか、他のことやりたいなという時期もあったし。

メーリングリストに「俺やめるわ」って書いて送信ボタンを押そうか押すまいか…みたいなことは10回くらいありました。

 

 

NABE:女子みたい!面白いぞ!

 

ラリー藤本:押し留まったのは、なんだかんだいってやりたかったんですよね。

今はもういろんな事を半ばあきらめて受け入れてる感じですけどね。

 

騒音寺で、3日間戻ってきて4日間またツアーっていう生活をしていると、やっぱり弱ってくるんだと思う。

ラリー藤本:騒音寺は、ドラマーがかなりかわってますよね。

 

NABE:うん、ドラマーは4人かわってる。ベースは3人目かな。

 

ラリー藤本:みんなケンカ別れとかじゃなく?

 

NABE:うん。

ケンカとかじゃないと思う。

俺が気付いてないだけかもしれんけど。

音楽性の違いとかもあるし、あと、やっぱりツアーについて来られなくなってしまう。

車に揺られて次の街から次の街、3日間戻ってきて4日間またツアーっていう生活をしていると、やっぱり弱ってくるんだと思う。

どっかで自分なりの遊びを見つけないと。

最初のうちは楽しいよ。

でも、楽しいのは最初の2年くらい。

博多来たからラーメン食いにいこうぜとか、そんなんもなくなってくる。

そうなると、各々でツアーの楽しみ方を見つけるしかない。

ライブはもちろん楽しいけど、7時間かけて移動して演奏時間40分っていう生活に疲れてきてしまうんだろうね。

 

ラリー藤本:今は年間どれくらいライブをしてるんですか?

 

NABE:年間70〜80本くらいだと思う。

昔は90本とかある時もあった。

 

ラリー藤本:そのペースっていうのはいつから続いているんですか?

 

NABE:2002年ぐらい

 

ラリー藤本:おおう…(絶句)

 

NABE:今までに何本やったんやろうなあ…結構な数だと思うけど…

 

ラリー藤本:やっぱりそれに精神がついてこれなくなって疲れちゃうんでしょうね。

 

俺、元気なんだわ。朝4時まで飲んでても、6時とか6時半には起きちゃうもん。

NABE:うん、すり減ると思う。

長く続いてるメンバーは自分で息の抜き方を会得しているんだと思う。

タムはツアー中でもギターの練習したりとかしてるし、俺は、ツアー中に曲書いたりとか、聴きなれないCDをずっと車の中で聴いたりしてる。

あと、俺はレコード屋に行くのが趣味だから、各地のレコード屋をまわるっていうのが息抜きになってると思う。

終わってからちょっとお酒飲んでみたりとか、そういうのとても楽しいことだし。

あとね、そもそも俺、元気なんだわ。

 

ラリー藤本:爆笑

 

NABE:元気なの。

早起きだし。

それ重要なポイントなんやと思う。

 

ラリー藤本:それにショートスリーパーやし。

 

NABE:そうそう、ショートスリーパー。

朝4時まで飲んでても、6時とか6時半には起きちゃうもん。

もともとのテンションが高いんかもしれへん。

さあ寝よう明日も早いしって思っても、あかんやっぱもったいないわって起きて本を読みだしたりとか。

 

ラリー藤本:元気がないときってないんですか?

 

 

NABE:ないなあ。
年とともにそれがどんどん加速していく。

 

一昨年くらいにバンド辞めようかなと思った

NABE:去年母親が亡くなったんやけど、8年近い闘病生活やったんよ。

その間ずっと新幹線で実家行って世話をして、今度姉と交代してみたいな生活を続けてて。

 

ラリー藤本:名古屋でしたっけ?

 

NABE:うん名古屋。

新幹線の往復代とかでお金めちゃくちゃかかって。

そこからタクシーで病院につれていったりとか、ヘルパーさんにお金払ったりとか、それでお金に困った時があって…

その時は今よりはテンション低かったと思う。

バンド辞めようかなと思ったのはその時。

一昨年くらいかな。

一回活動停止でもして帰ろう。

バンドやってる場合ちゃうわって。

 

ラリー藤本:家族とか関わることやと自分だけで完結出来ないですもんね。

 

NABE:親の介護でバンド辞めるっていう話はいっぱい聞くから、俺はこのまま続けていいのかなって思って。

バンドやって何億とか何千万とか入る商売じゃないから。

介護に専念した方が良いのかもと悩んだ。

メンバーにもファンにも言ったことないし、今ここではじめて言うけど。

ただ、バンドを辞めるに価する理由ってそれぐらいやったなあ。

あとは、別に何もない。

金がないっていうのはあるけど、金がなくても別にバンドってできるから。

 

若いバンドのステージみて、ダメだなっていうところを、自分の中に落とし込んで修正していく

—若いバンドに刺激をうけたりすることはありますか?エピソードがあれば教えてください

 

NABE:ある。

京都のライブハウスで5バンド6バンド出演してる、若手のライブを観に行くのが好きで、お金払って観に行くんだけど。

それがけっこうおもしろくて。

音でかいバンドもいれば、音が小さめで何言ってるのかわからへんバンドもいるし。

気づくバンドもいて、あ、あれNABEさんじゃないのって。

ステージの上から「今日はNABEさんが来ています」って言われて、客席シーンとなって辛いときもあるけど。

 

ラリー藤本:それは辛い。

 

NABE:その何を言っているのかわからへんっていうライブをみて、俺やったらこのメロディーでこういう言葉で歌うなーっていうのを、紙に書いてそれを曲作りの参考にしてみたり。

若いバンドのステージみて、俺やったらこういう風に動く、俺やったらこういう風に歌う。

ダメだなっていうところを、自分の中に落とし込んで修正していくっていう。

 

ラリー藤本:いわゆる、自分の栄養素にしてるわけですね。怖い人やなあ。

 

 

NABE:基本的には楽しんでるんですけどね、ライブを。

元気いいなあって。

 

ラリー藤本:だけどまあ、バンドマンが他のバンドを同業者の目でみたらそうなりますよね。

逆に、これはできひんなっていうバンドとか箇所とかあったりします?

 

NABE:若いバンドがよく俺に「騒音寺ってすごく難しいことやってますね」って言うんだ。

でも共演してそのバンドを見たらもっと難しいことをやってる。

どういう流れ?これ?みたいな。

で、ギターの奴の足元みたら、いっぱいあんの、なんかぶわーってアタッチメントが。

めっちゃ難しいやん!これ何!?みたいな。

 

ラリー藤本:ああ~、わかるなぁ。

 

ヒョウ柄の衣装とか着てライブやったら説教を言わなくなるよ

NABE:騒音寺はいたって簡単なことをやってると思うんだけど。

スリーコードミュージックの上に立ってるし。

若いバンドを見ると、もうちょっとルーツミュージックを前面に出してるバンドがいたらいいのになぁとは思う。

 

ラリー藤本:確かに数は少ないですよね。

そういうのに興味がない子達にそれ系の話をすると「説教」扱いになるし。

 

NABE:そうそう。

 

ラリー藤本:でもまあ、しちゃうけどね。苦笑

 

NABE:CHAINSも騒音寺もだけど、元々ビートルズというものがあると思うんですよ。

僕らよりも上の世代のミュージシャンなんてほとんどそうだろうし。

ところが今のバンドに聞くと、ビートルズ聴いたことがないって言うんだよ。

で、何に憧れてはじめたの?って聞いたらハイロウズって。

 

ラリー藤本:ああ〜あるなあ〜

 

NABE:あと、部屋にレコードもCDも1枚もないとか。

 

ラリー藤本:ああ〜(深く頷く)

僕が若い頃に諸先輩方によく言われたのは、今お前が憧れている人がいたとして、その人のバックグラウンドを知らなければ、同じ土俵には立てないよっていうこと。

その人の音楽だけを聴いてバンドをやっても、その人の真似事にしかならないって。

だから当時はインターネットもなかったけど、いろんな本とか探してアーティストのルーツとか調べたりとかしましたけどね。

 

NABE:それは正解だと思う。

 

ラリー藤本:なんだけど、最近の若い人は、意外とそういう事をしなくてルーツを知らないんです。
もう憧れのその人だけを見ている。

でも中にはそれだけでスマートにその人たちを超える音楽だったり、その人たちと同じレベルの音楽を奏でてたりする人達も居る。

話聞いてたら音楽的には薄っぺらいんだけど、割とええ具合な曲を作ってる人たちが多くなった気はします。

僕らの世代なんかより有る意味で洗練された音楽を作る人たちが増えた気はするんです。

 

NABE:昔みたいにシングル買って何回も擦り切れるまで聴いた時代とは違うんだろうけど。

若いバンドと喋ってても、音楽に対する価値観はちょっと薄くなってきてる印象はある。

ただ、若いバンドにルーツルーツって言ったら、NABEさんって意外と説教くさいんだって思われそうだし言わないの。

だって嫌でしょ?派手なつなぎ着てメイクしてる人に講釈されるの。笑

 

ラリー藤本:大笑。

NABEさん今や若手の”インスタ映え”アイコンやしね。

なるほど…そのコスチュームがある種の歯止めになっているわけですね。

僕は日頃からめっちゃ偉そうに言うてるわ。反省やわ。

 

NABE:ラリーくんも一回ヒョウ柄の衣装とか着てライブやったら言わなくなるよ。

 

 


いかがでしたか?

アルバムの話あんまり訊いてないインタビュー。

ただ、商業誌では話されることのない、両バンドのリアルがしっかり伝わったのではないかと思います。

今回は「前編」。

なんと「後編」はNABEさんとラリー藤本さんが2人でお気に入りのレコードをかけながら”私的ルーツ音楽”について語ってくれる最高に楽しい動画です。

仲の良さがひしひしつたわる、おじさんが2人で音楽聴いてきゃっきゃする心温まる映像になっております。

超お楽しみに。

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騒音寺ホームページ


■CHAINS主催「ONE STEP BEYOND 2018 WINTER」
~25th Anniversary Special #2~
2018/12/29s;t.@京都・拾得
メインアクト:CHAINS
スペシャルゲスト:NABE(騒音寺)
見物料:当日のみ1500円
17時半開場/18時半開宴

CHAINSホームページ

CHAINS 結成25周年音源リリース特設ページ

CHAINS 結成25周年音源リリース特設ページ【ご祝辞】一覧


 

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